人と繋がらない幸せ。 S723

※S は、夫と別居してからの日

 

夜寝ていて、

なんだか暑くて、

しかも喉が変で、

熱があるのでは?と思うほど、

体調が変だった。

友達と会うことになっていたので、

行かれないかも、と思った。

とはいえ、起きてみると

どんどん平気になっていて、

疲れがものすごく溜まっていたけれど、

出かけることにした。

茨城まで。

電車で1時間半くらい。

3人で会う。

 

ふと電車の中で思ったのが、

2人で会う、と言うよりも

3人くらいで会った方が

気が楽なのかもな、と。

一対一だと、

常に何かを話したりしないといけないような気がした。

相手の話を聞いて、それに応える、

共感する、自分の思うことを伝える…。

なんてことがもしかすると重いのかもな、と。

3人で会えば、話を聴きながら、

常に私が何かを言わなくてはいけないわけではないのか、

と思ったら気が楽だな、と。

ちょっと話を聞いてなくても(かなり失礼な言い方だけれど)、

というか、少しボーッとしていてもいいかと。

 

なんとなく私は誰かと一対一で付き合うこと、

会うことで、特別な関係を作ろうとしていたのかもしれない、と

つくづく思い始めた。大勢のグループに存在しながらも、

仲良くできそうな人を見つけて、

一対一の関係を築こうとしている、というか。

なんでだろうか。

どんな中でも、誰かの特別な人でいたいのかな…。

特別な関係…。

まあ、グループの中にいると、そんな関係になりがちだったり、

そんな関係を作りたがる人もいる…か。

みんなの中だと自分の話をしにくいけれど、

少人数だったら自分の話もできるし、

わかってもらえる気がするんだろうな。

というか、自分をわかって欲しいんだろうな。

この気持ちを、共感して欲しいのだろうな。

そう考えると、共感してくれそうな人を選んでいるのだろうな。

それと、面白そうな時間を共有できそうな人を探しているのかもしれない。

 

幸せやら、充実やら、

親友やら、お祝いやら、

大好きやら、いいねやら、

満喫やら、最高やら、

友達やら、

そんなものに疲れます。

そんな言葉たちに振り回されます。

自分の持ってるものと比べてしまって、

いつも自分のものの方が小さいように感じます。

そして、それを感じて悲しくなります。

孤独になります。

自分の満足感が嘘だったようにさえ感じます。

あんなに楽しかった思い出も、

嬉しかったことも、

誰かの何かと比べたら、

小さくて、惨めに思えます。

かわいそうな私。

世界がいろんなものを見せつけてくる。

誰かの幸せを。

 

自分が誰だかわからなくなる。

自分のものを信用できなくなる。

自分が自分にダメ出ししている。

自分はなんのために生まれてきたのか…

なんて。

 

…自分は自分を楽しませるためだけに

生まれてきた、だけ。

ただそれだけ。

それが幸せ。

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