不自由さの中で気づくこと TW 327 S 220

ボランティアの研修で、

クリアできていない課題があって、

それが気がかりだった。

 

そして、自粛解除で、

友達とランチをした。

…友達…

ちょっとそう呼ぶには、

知り合って日が浅いような…。

とても元気で楽しい人。

年齢も近い、と思う。

自粛生活中に、オンラインで

エクササイズをやっていたので、

体力がついた、と言っていた。

確かに、キリッとしている感じ。

いろいろな話をしたなかで、

印象的だったのが、

<何にお金をかけるか>

ということ。

 

洋服、美容、食べ物、車、旅行、

家、カバン、アクセサリー…など。

 

彼女は食べ物だ、と言っていた。

一人暮らしをしている今、

楽しみは、それだと。

お金をかける、と言っても、

他のものよりも、数百円くらいの違いだし、と。

確かに…それはいいかも。

自分は、どこにもお金をかけない、

とでも決めているかのような暮らしかも。

そして、お金がないし…とでも決めているかのように。

知らぬ間に、自分が自分の暮らしぶりを決めている。

頭の中にある、囲いのある暮らし。

いろんな環境の中で、当たり前になりつつある、その暮らしぶり。

出てもいいのに、なかなか出ない。

そして、時々苦しい。

自分で自分を苦しめる。

勝手に作った自分の囲いで。

とはいえ、普通に暮らしていると、

なかなかその囲いに気づかないけれど、

なんか、苦しい時は、そこを疑った方がいいのかも。

 

夕方に帰ってきて、

ボランティアの研修のクリアの方法を

見つけた。

…合っているかわからないけれど。

とりあえず、できた。

そうだったのか、と思ったけれど、

そこが課題だったのか?と。

それとも、書き忘れ?

よくわからないけれど、

聞いてみようと思う。