受け取り方か   TW 306 S 198

朝、動画ボランティアのサポート、

というものに参加した。

かなりドキドキした。

その緊張感とは裏腹に、

何事もなく終わった。

ホッとした。

 

ここのところ友達と

毎日連絡を取っているのだけれど、

彼女は、ちょっとした問題を抱えていて、

その問題に関しては、

ものすごく怒りを持っている。

普段は面白いのに、そのことに関しては、

まるで別人のようになる。

何が起こっても、

すべてが怒りにつながっている。

夜も眠れなくなるほどの怒りになっているようだった。

ボタンを押したように…。

なので、その問題の話をしただけで、

そのボタンが発動してしまう。

…なんか、おかしい。

どんなことも、盲目的に怒りになっている。

冷静になれない。

考え方がもう少し緩くなったら、

ラクなのではないかと思って、

違う角度からの捉え方を提案してみたけれど、

怒りの中にいるのか、

返信がない。

 

自分たちは、いろんなことの送受信をしているな、

と思う。

特に言葉や行動は、

誰かに与える影響が大きい。

自分が行ったことで、

周りから褒められることや、怒られることもある。

とはいえ、自分は、褒められたり、怒られたりしたいために

やっているわけでもない。

そう考えると、

受け取り側の受信域なのかと。

<問題>に対しては、

<問題>としての意識があるから

受信域が狭くて、<すべてが問題>につながってしまう考え方。

そこに固執してしまって、心も身体も動けなくなるのかと。

逆の立場だとして。

例えば、私がどこかに出かけてお土産を

友達に渡したとして。

<ありがとう‼︎>がほとんどかもしれないけれど、

<また、こんなもんくれて‼︎>とか

<私を見下している‼︎>とか

<自慢してるのか‼︎>とか思う人もいるかもしれない。

私には、なんの意図もないのに…。

というか、むしろ喜んでもらいたい、

と思ってした行動だとしても。

 

そういうことか、と。

で、思うのです。

<どう考える?>と。

あっ、<どれが幸せ?>

あっ、<どれが心地よい?>か。

 

何を受け取ってもいいのだと思う。

というか、自分の都合の良いように、

受け取ればいい、と。

 

自分の身の回りに起こることを

全てを問題視していたら、

身も心も疲弊する。

まあ、疲弊する、のでも良いのだけれど。

もう嫌だ、やめたい、この問題さえなければ、

と思うのであれば、

全部を<やった〜>と受け取れたら、

幸せなんじゃないかと。

柔軟性、なのかも知れない。

その柔軟性は、実際に身体の硬さとも関係あるかも知れない。

 

音叉ヒーリングを勉強していた時に、

そのヒーリングを実際に受ける前の

問診として、

キネシオロジー>検査をした。

身体の筋反射を確認するものなのだけど。

<好き>と<嫌い>の質問をして、

身体の反応を確認する。

人によっては、逆になることもあるようだけれど、

一般的には<好き>には身体が柔らかくなり、

<嫌い>には身体が硬くなる。

それとも関係しているのかも知れない。

 

身体がこわばる。

でも、そこを緩める、と世界が広がるのだと思う。

とはいえ、こわばりに拘る人もいて、

<嫌な気分>の中で怒りを抱えている…のが好き、

なんだと思う。

 

起こることは、全て良いことだ、

と考えたら、楽しいのにな。

難しいことかも知れないけど。

 

ああ、すっかり長くなってしまったけれど、

<伝え方が9割>というのがあったけれど、

<受け取り方が10割>かと。